「‥!アンタなんかにそんなこと言われたくないよ!」
 怒りで目の前が真っ白になって、自分の行動をはっきりとは認識できなかったけれど、 あたしは皮の手袋をした手で屋根に積もった雪をすくうと、三太に向かって投げつけた。
「おわっ!?」
「アンタに何が分かるの!?ついさっき会ったばっかのくせに!!」
 だめだ。八つ当たりだと分かっていても止められない。あたしはただ一心に、雪を投げ続けた。 細かく弾ける雪をぶつけられた三太は、両手で顔を護りながら、あたしを止めようと、声を張り上げる。
「ぶっ‥お、おい、やめろって!」
「うるさい!!」
 ヒステリックに叫んでまた雪を投げようとしたあたしの腕は、その前に三太に掴まれてしまった。
「離してよ!!」
「ハイ、いい加減落ち着‥ぶっ!?」
 あたしは掴まれていない左腕で雪をすくい、油断した三太の顔にふりかけた。
「ぶわっぷ‥冷た‥‥げっほ!」
 不意打ちに驚き、腰を抜かして顔をはらっている三太の前に膝を落として座り込んだあたしは、 両の拳をぎゅっと握った。
「だって‥‥!」
 ああ、困ったな。そんな、いきなり泣いちゃ、だめじゃん。あたし、こんなに弱かったっけ? くそ‥何で目の前ぼやけるんだよ‥‥‥。 あたしが11年間も必死にせき止めていたモノが、行き場を失って一気にあふれ出る。
「‥だって、酷いじゃん!‥11年間も、11年間も親子二人で頑張ってきたのに‥‥ あたしになんの相談もないなんて‥‥」
 だめだ、だめだ。ついさっき会ったばっかりのヤツの前で、泣くなんて。母さんが死んでから、 人前で泣いたことなんて無かったのに。 ほら、目を丸くして無様なあたしを見てるじゃないか。泣いちゃダメだって。 そう思って堪えても、胸の内に押し込めてた思いは、あとからあとからあふれ出て、屋根の上に 降り積もった雪に、穴をつくった。
「ガキでもいいよ。ガキでもいいから‥そういう大事な事決めるときくらい、言って欲しかったのに」
 親に信頼されてると思っていたのは、あたしだけだったのだろうか。頼られてると思ったのも、 ただの思いこみ?別に、新しいお母さんと連れ子が来るのが嫌なわけでも、ましてや嫉妬している わけでもない。ただ単純に、娘として悔しかった。肝心なときに無視されて置いて行かれるようで、 悔しかった。もっと前に、こういう人と付き合ってるんだとか、一緒に住む前に紹介してくれるとか、 してくれれば素直に受け入れられた。あの馬鹿だけど、人を見る目がある親父が選ぶんだから、 悪い人なわけない。
 ただ、置いてけぼりにされるのが怖かった。
あたしは涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔を、三太に貸して貰った真っ赤なコートで拭った。 赤いコートに涙が染みこんで斑模様を描いても、11年分の涙はそう簡単に止まってくれず、 あたしはコートに顔を埋めてしゃくり上げた。
「‥ぅ‥ぐっ‥お、やじの馬鹿野郎ォ‥‥!」
 コートに顔を埋めていたから外からは見えないけど、あたしが顔を歪めて ぎゅっと目を瞑ったとき、頭にくしゃりと誰かの手が乗った。
「‥‥三太‥‥?」
 顔を上げると、沈痛な面持ちの三太が居た。見るからに肩を落として俯いたヤツは、 あたしの頭に手を乗せたまま、雪の上にどっかりと座り込んだ。
「‥‥ごめん、俺も、ダメだな‥お前の気持ちも考えずに、何の関係もないくせに、 勝手に事情考えて、無神経なこと言った‥‥」
三太は、あ゛ー、とよく分からない声を出すと、子供に夢を与えるどころか、逆に泣かせてどうするんだよ‥ と言って、片手で顔を隠した。
「ホント、ごめん‥‥」
 だんだんと、あたしは冷静に戻った。 人は、他人が悲しんでたりしてるときは、ヘンに冷静になるのだろうか。 それとも、頭に乗っている大きな手のお陰だろうか。 さり気なく子供扱いされたことにムッとしたが、年甲斐もなく声を上げて泣いてしまったのは事実だ。
「‥今更遅いよ」
 そういった不満も込めて、コートに顔の目以外のパーツ全てを埋めたまま、ぼそりと呟いてみる。
「‥だよな、遅いよな‥‥」
 予想外に落ち込んでしまった、と少し慌てたが、それは杞憂に終わった。
「けど」
 三太は急に顔を上げて、言葉を続けた。
「親父さんの件は、今更じゃないだろ?」
 あたしはきょとんとして、首をゆっくり横に傾ける。
「お前は、直前まで言ってもらえなかったことに、傷ついたんだろ?だったら親父さんに、 全部ぶちまけちまえ。今俺に言ったこと。アンタが本気で傷ついたんだってことを直接言えよ。 何十年来の間柄でも、言葉にしなけりゃ通じないことなんて、いくらでもあるんだから」
  思い切り泣いて、胸の内のもやもやを全て放出したお陰だろうか。 頭は妙にすっきりしていて、三太の言葉が頑なだった心に、いとも簡単に流れ込んでくる。 さっきまで、何であんなにくよくよ悩んでいたんだろうと、おかしさすらこみ上げてきた。そうだよ。 最初から、直接ぶちまければよかったのに。あたしのみっともない厄介なプライドの欠片が、 ずっと詰まって邪魔をしてたんだ。でも、もうそれもとれた。
「‥うん。そうだね。そうしてみる」
 馬鹿のように見えても、やっぱりあたしよりずっと大人だ。いや、あたしが子供っぽいだけかもしれない。 でも、今回の件で、あたしは確実に成長できると思う。もう少し大人になれる。
「‥‥そこでさ、どうせ乗りかかった船だし、ハリボテ煙突の中から助けてあげたワケだし、 あたしは夢壊されたワケだし、2つくらい頼みを聞いてくれない?」
 必殺・上目遣い攻撃で言うと、三太はうえぇっと恐ろしげに顔を歪めて微妙に後退った。失礼な。
「ど、どんなことっスか?流石に死ねとかいわれても無理なんだけど‥」
 誰があんたの命が欲しいと言った。
「まず、一つ。家出した馬鹿娘を未だに外で捜してるはずの親父のところに連れてって。 もうひとつはそのあと、言うよ。OK?」
「‥しゃーない。子供を泣かせちゃったわけだしな。たしか駅の方に向かってたはずだから、 一緒にさがしてやるよ。付いてこい!」
 命令口調ですか、コイツと思いながらも、『子供』と言われたことの方が矢張り気になる。
「‥子供じゃないし‥」
 ぼそりと呟いてみるが、反応がないのですぐ別の言葉を重ねる。
「あ、でもバイトの6件目が」
「あー、それについては心配しなくても‥‥」
 ごそごそと懐を探った三太は、これまたサンタクロース仕様の赤いケータイを取り出すと、 どこかへ電話をかけた。
「‥よ。ああ、俺。いや、まだ終わってない。今、5件目。‥‥ちょい事情があってさ‥ あー、何とでも言えよ。そこでお前に頼みが‥‥いや、おい!やめて!お願い!切らないで!待って下さい!」
 どうやら相手が切ろうとしたみたいだ。‥ああ、電話の相手のため息が聞こえてくるような気が。
「なぁ、頼むからさ。な。あと2件だけなんだよ。今度飯でもなんでも奢るから‥‥ああ、マジだって。 ‥え‥あの店はちょっと高‥なんでもないです‥はい‥はい‥じゃ、お願いします‥‥はい、 5丁目緑の屋根の川島さんトコ、プレゼントNo.184と、駅前の商店街の、『あの日の初恋  豆腐屋でびぃ〜恋はいつでもラビリンス〜』って店」
 正確には、『あの日の思い出、磯の初恋 豆腐屋でびぃ 〜恋はいつでもラビリンス〜』だ。 誰でも店の名前を訊くと最初はひくが、興味本意というか、どうしても逆らえない引力のようなもので、 ついその店で売っている豆腐を買ってしまう。そして、その豆腐が名前の割になかなか美味い。よって、豆腐屋でびぃ(略)は常連客に恵まれ、 繁盛している。
『何だその名前』
 有り得ない名前を訊いた衝撃からか、恐らく三太によって鍛えられてしまっただろう鋭いツッコミが 微かに聞こえてきた。なかなか低めの落ち着いた声で、格好いい。 声優になったら絶対ハードボイルドなキャラで決まりだ。 ‥‥ってあたし何言ってんだ。‥‥でも、さっきの声、格好良かったな。もう一回聞きたい。
「俺に訊くなよ‥んで、プレゼントは上の子からNo.173、174、175。プレゼントの袋は、 五件めの家の屋根の偽煙突の中に置いておくから。あぁ。じゃ頼んだぞ」
 ああ‥あの素敵ヴォイスをまた聞く機会が失われてしまった。 ぴ、と音をたてて電話を切ると、三太はあたしに手を差し出して、言った。
「さぁ、親父さんを探しに行くぞ」
 あたぼうよ。

*        *         *         *         *

 流石にこんな大雪で、しかも深夜に外に出てる人はあまり居ないようで、もともと人気の少ない 私の家のある住宅街から商店街まで伸びた下り坂は、がらんとしている。 おまけに深い雪で覆われていて、徒歩で行くのは難しそう。だからといって、だからといって、 これはないんじゃないかと思う!
「っきゃああぁぁーっ!やめて降ろして止まっていやぁぁーー!」
 只今私達は、その道をそりで爆走中。スキーに例えれば、勿論、基本のボーゲンでなく、 スピード重視の直滑降で。コイツに任せるんじゃなかった、と後悔しても、かなり遅い。 そもそも常識を求めてはいけない相手だった。
思い返せば、さっきの会話からしても、三太は馬鹿。そしてそれを失念していたあたしも 十分馬鹿ですよ。全く、悔やんでも悔やみきれない。第一、何でバイトのサンタクロースが 折りたたみ式二人乗りそりを持ってるんだよ。
「あはははははは!見ろぉーそりが風のようだぁー!」
 対して、当の本人、三太は笑い声を上げながら風を受けていて、実に楽しそうで恨めしい。 ご丁寧に、某悪役の台詞のオマージュまでして。 風というか、むしろ急流に流される無力な葉っぱですと言いたいけど、 そんな事を言う余裕もなくてただ悲鳴だけを上げ続けるしかない。 そうこうしている間に、商店街の店達が連なるT字路が迫ってきて、 あたしはもう一つの恐怖に気付き、流石に声を上げた。
「ちょっと!ブレーキは!?」
 このままだと、マンガよろしく激突して、そりも私達も木っ端微塵だ。
「んなもんあるワケ‥‥あ。困るな、そういえば!」
「ちょっとおぉぉぉ!?」
 全くそのことを考えていなかったらしい三太の呑気な声と、もう目前まで迫ってきた壁に、 私は今までで一番大きな悲鳴を上げた。  ああ、もうぶつかる。もうダメだ。迫り来る痛みに恐怖して、あたしは反射的に目を瞑った。
「とうっ!」
 何か、戦隊ヒーローが出しそうなかけ声が聞こえたと共に、いきなり体が浮き上がったので驚いて目を開くと、 三太があたしを抱えてそりから飛び出していた。視界は曇りきった空と、真っ白な雪、 そして場違いな赤色に閉ざされる。 かと思ったら、その直後、ドカッ、という嫌な音がして、体に衝撃が伝わってきた。 けれど、それはさっき覚悟したような痛みとかではなく、本当に衝撃、と表現するのが正しいような ものだった。多分、三太がクッションになったんだと思う。グッジョブ! と思ったら雪の上にばすっと軽く投げ出され、文句を言ってやる、と体を起こした。 けれど、すぐに三太の悲痛な声が響き渡り、あたしは口を噤んだ。
「助かったには助かったけど‥うわぁー!」
 赤い服のサンタさんが、無惨にばらばらになったそりの前で悲観に暮れていらっしゃる。 ああ、すぐ飛び出さなければあたし達もああなっていたんだなぁと考えると、寒気がする。 いや、もともと寒いけど。とにかく、そのあまりにも哀れな様子に、言おうとした文句がしぼんだ。
「えーと、それ、大事なモンだった?もしかして」
 もしかしたら、あのそり、大事なものかもしれない、と思ったあたしは、 三太に歩み寄って声をかけたけど。
「怒られるー!死ぬほど怒られるっていうか抹殺されるー!嫌だ、若い身空で死にたくない!」
 ‥成程。バイトの為の借り物だったわけね。ご愁傷様。ちょっと罪悪感を感じるけど、 あたしにはどうすることもできないな。
「そりの残骸はちゃんと片付けようねー迷惑だし」
 ばらばらの破片を一つずつ拾っては、三太の持ってきた白い袋に入れる。 三太はその破片ひとつひとつを悲しげに見つめながら、何かぶつぶつ呟いている。 あたしが最後の破片を拾って袋に入れ、ため息を吐いたとき、深夜の商店街の向こうから、 よく知る暑苦しい声が響いてきた。





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